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東京地方裁判所 昭和30年(行)66号 判決

原告 国

被告 中央労働委員会

主文

被告が中労委昭和二九年不再第三一号不当労働行為再審査申立事件について、昭和三〇年五月一八日附でした命令中神奈川県知事の峯村省三に関する再審査申立を棄却する旨の命令はこれを取り消す。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その一を被告、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告代理人は

「被告が中労委昭和二九年不再第三一号不当労働行為再審査申立事件について昭和三〇年五月一八日附でした神奈川県知事の再審査申立を棄却する旨の命令を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

被告代理人は

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告の請求原因

一  被告の命令に至る事件の経緯

訴外平野団十郎、加藤景一、山口倉吉、鴨志田利之、高梨喜久二、小林一夫および峯村省三は別表一雇用年月日欄記載の日時原告に駐留軍労務者として雇用され、横浜市所在の米軍横浜陸上輸送部隊に勤務していたところ、原告より委任を受けていた右部隊によつて別表一当初の解雇年月日欄記載の日付に解雇されたものである。なお、右訴外人らの所在不明等のため解雇の通知書の到達すなわち解雇の効力発生の日時と解雇通知書に記載された解雇の日との間に差が生じたので、原告は手続上の正確を期するため、部隊に右解雇の通知書が現実に右訴外人らに到達した日を正式の解雇の日とすることを求め、部隊は解雇の日をさきの解雇通知の送達された日に訂正した解雇の通告をした。右通告された解雇の日付は別表一訂正した解雇の年月日欄記載のとおりである。

右訴外人らの所属する全駐留軍労働組合神奈川地区本部横浜陸上輸送部隊支部(以下、組合という。)は、右訴外人らの解雇は不当労働行為であるとして、昭和二八年九月二五日原告の機関たる地位にある神奈川県知事および横浜渉外労務管理事務所長を被申立人とし、神奈川県地方労働委員会に救済の申立をしたところ、同委員会は昭和二九年七月二八日附で「被申立人は右訴外人らに対する解雇の通告を取り消し、同一条件において解雇前の職場に復帰せしめ、かつ、右訴外人らに対し解雇後復職までの間に至る各人の受くべき賃金相当額を支払え」との命令をした。

神奈川県知事は同年八月九日右命令書写の交付を受け、同月二一日被告に再審査の申立をし請求の趣旨記載の事件として係属したところ、被告は昭和三〇年五月一八日附で別紙二のとおり右再審査の申立を棄却する旨の命令をし、この命令書写は同年六月六日同県知事に送達された。

二  被告の命令の違法

しかし、被告の右命令は不当労働行為を構成しない右訴外人らに対する解雇を不当労働行為と認定した違法があるから、右命令の取消を求める。

第三被告の答弁

原告の請求原因第一項の事実は認める。

しかし、右訴外人らの解雇に関しては別紙二命令書どおりの事実があり、かかる事実から見れば右命令どおり判断さるべきものであるから、右訴外人らの解雇は不当労働行為を構成する。

よつて原告の本訴請求は棄却さるべきものである。

第四原告の被告の答弁に対する認否および右訴外人らの解雇理由

一  答弁事実に対する認否

別紙二命令書一、二、四ないし六の各事実は争わない。

同三中峯村が組合の職場委員、小林が組合の青年行動隊長、鴨志田が組合の職場委員、高梨が組合の副青年行動隊長に選任されたことは知らないし、平野外八名が昭和二八年七月二八日以降のストライキに際して積極的な組合活動をしたことは争い、その余の事実は争わない。

同七中同年七月二九日における事実については後記原告主張事実に符合する限度においてこれを認め、その余は争う。

なお、同七末段の平野を除く右訴外人らの逮捕、起訴、不起訴、横浜地方裁判所の判決の結果、右訴外人らの欠勤とその欠勤届の提出に関する事実は認める。

同八中神奈川県知事が述べた軍の右訴外人らに対する解雇理由、同知事が右軍の解雇理由を明瞭ならしめる諸事情を同項摘録のとおり附加主張したことは認めるが、本訴においては、原告は、右訴外人らの解雇理由を後記二、三のとおり主張する。

二  加藤、山口、鴨志田、高梨、小林、峯村の解雇理由

(一)  七月二九日ピケラインにおける紛争

組合は日米労務基本契約米軍案反対、賃上げ等三〇数項目の要求事項をかかげて昭和二八年七月二八日午前六時からストライキを行つた。

その二日目である同月二九日午前六時四〇分頃非組合員である同部隊バス運転手川名浩、渡辺飯外五名が部隊の用務である米軍将兵輸送作業のためそれぞれ一台の軍用バス(計七台)を運転し、一列縦隊で部隊のバス通用門(横浜市中区扇町所在)を順次出ようとしたとき、その方面にピケラインを張つていた右訴外人六名を含む組合員約三〇名がその出門を阻止しようとして右門前に押しよせた。

しかし、先頭のバス運転手川名浩はたくみにピケラインの手薄なところをぬつて出門してしまつた。そこで二台目のバスを運転していた渡辺飯もこれに続いて出門しようとしたところ、山口はそのバス前面の道路上に寝ころんでその進行を停止させた。そして他の二、三名の組合員は持つていた赤旗の竹竿を右バス運転台の窓からハンドルめがけて突込み、峯村は他の組合員数名と共に右バス内に乗込み、車外の組合員と呼応して渡辺を無理に運転台の窓から押し出し、道路上に転落させ、同人に全治一週間を要する傷害を与えた。

なお、山口はその場に来合せた米軍士官マーチヤント大尉の腕をとらえ、危害を加えようとした。

このように平野以外の訴外人六名を含む組合員約三〇名は、うち一部の暴行を伴う多衆の威力をもつて渡辺の運転するバスとこれに後続するバス計六台の進行を不能にさせ、結局同運転手らの米軍将兵輸送業務は中止のやむなきに至つた。

(二)  右訴外人らの欠勤

このピケラインにおける暴挙について、威力業務防害罪ないし暴行行為等処罰に関する法律第一条の罪の嫌疑があるとして、その頃右六名の訴外人らに逮捕状が発せられると、加藤、山口、鴨志田、高梨および小林の五名は右逮捕を免れるため、いち早くその所在をくらまし、鴨志田、高梨は同年八月五日から同月一九日まで、加藤は同月五日から一七日まで、小林は同月五日から一四日までと同月一七日軍の許可なく不当に欠勤した。

(三)  解雇理由

部隊は同月一一日付で峯村が渡辺運転手に対する暴行に参加したことを主たる理由として同人を解雇し、更に同日付で山口が(イ)米軍士官マーチヤント大尉に威迫を加えたことが最大の理由とし、あわせて(ロ)渡辺の運転する軍用バスの進行途上に寝ころび、その進行を阻止し、(ハ)ピケラインにおける暴挙について逮捕状が発せられたのにその責任を明らかにする態度をとらず、かえつてその所在をくらまし前記のとおり八月五日より解雇日まで部隊の許可を受けることなく欠勤を続けていることを理由として山口を解雇し、

また、加藤、鴨志田、高梨および小林の四名は右ピケラインの暴挙に関する犯罪容疑で逮捕状が発せられたのに各自その責任を明らかにする態度をとらず、かえつて逮捕を免れるためその所在をくらまし、そのため前記のとおり一〇日間以上も部隊の許可なく欠勤したので、部隊は、これを主たる理由として別表当初の解雇の年月日欄記載の日付で右訴外人らを解雇したものである。

なお、各人に特殊なその他の附随的解雇理由を述べると次のとおりである。

(1) 加藤景一について

(イ) 加藤は、昭和二八年七月四日の軍休日に出勤するように定められていたのにかかわらず、軍の了解を得ることなく無断欠勤した。そのため同人は当時譴責処分を受けた。

(ロ) 加藤は同月一七日その所属するバスセクションにおいて組合の指令に基くことなく集団的な二時間の早退、遅刻(いわゆる山猫争議)が行われた際、これに参加し、軍の許可なく不当に仕事を停止した。そのため同人は当時譴責処分を受けた。

(2) 鴨志田利之について

鴨志田は、同年四月二七日一八時五分にAFFE本部(極東陸軍司令部)に到着すべきバスを故意又は過失によりバススケジユールより五分遅れて、一八時一〇分に到着させ、そこから運行を継続すべき次のコースを走らずに、そのまま部隊に帰つてしまつた。そのため同人は当時譴責処分を受けた。

(3) 高梨喜久二、峯村省三について

高梨、峯村は同年七月四日の軍休日に出勤するよう定められていたのにかかわらず軍の了解を得ることなく無断欠勤をした。そのため同人らは当時譴責処分を受けた。

右六名については、以上のような事情があり、このような者を引続き雇用することは軍の利益とならず、また部隊はこれ以上同人らの雇用を必要としないので同人らを解雇したものであつて、同人らの正当な組合活動を嫌悪して解雇したものではない。

三  平野団十郎の解雇理由

(一)  争議条項違反

組合の上部組織である全駐留軍労働組合と原告との間に締結されている労働協約第二七条の二によると、「争議行為を行う場合は、中央においては五日、地方においては二日以前に、他方に文書をもつて通知しなければならない。」と約定されている。その趣旨は争議開始の日時を具体的に何月何日何時と明記して、その五日又は二日以前に通知すべきことを約したものであり、その間に軍において適宜の対策処置を講ずる余裕を与えんとしたものである。

しかるに組合は昭和二八年七月一八日原告(横浜渉外労務管理事務所長)に対し「同日以降ストライキに突入する。ただし実施の日時についてはその都度通告する。」旨を通告しておいて、同月二七日午後八時四〇分頃に突如「翌二八日午前六時から七二時間のストライキを実施する。」旨通知し、協約に定める二日間の余裕を与えることなく前記ストライキに突入した。これは明らかに右協約第二七条の二に違反する。このような協約違反の不当な争議(債務不履行の意味で違法な争議)を指導した組合における最高統轄者である委員長平野の責任は重大である。

軍は、このような協約違反を指導し敢行せしめた平野を今後も雇用して行くことは軍の利益にならないと考えたものである。

(二)  欠勤

平野は同年八月五日から同月七日まで欠勤した上、更に同月一〇日欠勤届を出したまま軍の許可を受けずに同日から同月一五日まで不当に欠勤した。

平野が同月五日から七日まで欠勤したことについては一概に非難できないものもあるようであるが、その後の六日間の欠勤についてはその責を問わるべき十分な理由があるものである。

すなわち、平野は同年六月下旬に、同年七月一〇日頃より約一〇日間の予定で欠勤することを部隊に願い出た。その理由は、日本赤十字社、日本中国友好協会、日本平和連絡会の三団体(在華同胞引揚業務三団体協議会)の代表の一人として、在華同胞帰国船に乗船し、引揚者の世話をするというのである。軍にとつては当然好ましく思われないであろうところの中共渡航のための欠勤というのであるが、欠勤願に疏明資料として添附された、在華同胞帰国協力会総務局長名の乗船依頼書により、平野が前記帰国船に乗船して引揚者の世話をすることの依頼を受け、そのための渡航であることが確認されたし、また、あらかじめ予定日限をきつて申し出た適式の欠勤願の故に、部隊は欠勤期間中無給の条件でこれを許可した。

しかるに平野は許可を受けた右七月一〇日頃には欠勤乗船することなく、同年八月一〇日になつて、唐突に同日から同月一五日までの六日間在華同胞帰国船の事務引継と帰国者の世話のため舞鶴に行く必要があるから欠勤する旨の欠勤届を出したまま、許可も得ずに欠勤してしまつたのである。乗船事務引継のために欠勤するというのである以上、当然後日また乗船渡航のため相当長期の欠勤が予想されるのである。このような相当長期に亙る異例の欠勤について、あらかじめ部隊の許可を得ることなく、あたかもそれを当然のことのようにして欠勤した平野の行動ないしはその態度を、軍の利益とならないものとすることは軍としてむしろ当然のことである。しかも平野の欠勤した時期は同年七月二八日から八月四日まで引続き組合の争議と部隊の作業所閉鎖が行われた直後で、部隊の作業が混乱渋滞していた際である。平野としては右争議終了後八月五日から七日まで三日間も欠勤し、そのため部隊の作業に支障を及ぼしているわけであるから、その後の欠勤については一層慎重を期すべきであるにもかかわらず、平野は、その直後再度八月一〇日から一五日まで、事前の許可を受けることなく、欠勤届を出しつ放しで欠勤してしまつたのである。部隊が右欠勤届を不許可とし、かかる不当な欠勤の故に同人を解雇することは十分理由のあるところである。

(三)  軍は以上二点を考慮して平野を引続き雇用することはアメリカの最上の利益でないと判断して同人を解雇したものであつて、同人の正当な組合活動を理由として解雇したものではない。

四  被告の命令の理由不備

被告の別紙二命令書中の判断は、右訴外人らに対する解雇が不当労働行為であることを理由づけ得ないものである。

(一)  争議条項の解釈について

前記労働協約第二七条の二の趣旨は、すでに原告の述べたとおり抜打ち争議の禁止にあることは明白である。

しかるに被告は、別紙命令書九第一(一)のように組合の行つた争議通告は右争議条項に違反しないと判断している。このような被告の解釈によれば、組合は一応争議を警告しておいて、それから二日ないし五日以上経てば、いつでも抜打ち争議ができることとなり、わざわざ前記争議条項を設けた趣旨が全く没却されてしまうこととなり、協約条項の解釈として甚だ不合理な解釈であることは明白である。現に全駐留軍労働組合ないしその不部組合が現在まで行つて来た本件以外の幾多の争議において例外なく原告の解釈するとおりの趣旨で争議の事前通告がなされており、本件争議開始直後の同年七月二九日原告(神奈川県渉外事務局長)が組合の上部組織である全駐留軍労働組合神奈川地区本部に対し組合の争議通告が協約違反である旨申し入れて詰問したのに対し、同本部からその点について何らの反駁のなされなかつたことから見ても被告の右争議条項の解釈の誤りであることは明白である。

(二)  ピケラインにおける紛争と組合幹部の責任

被告は同年七月二九日朝若干のピケ隊員に不当違法な行為があつたとしても、かかる行為は偶発的なものであるから本件争議について組合幹部が問責さるべき事由は全くないと判断している。

平野が委員長として指導する本件組合は昭和二七年九月二二日から給与の是正ほか二一項目の要求をかかげて無期限の争議を行つた際同月二五日ピケラインでスクラムを組み、多衆の実力で部隊の下請運送会社の従業員が部隊からトラツクを出そうとするのを阻止し、そのため出動した警官隊と乱闘流血の事件を惹起している。そしてまた本件争議においても、前記のようにピケラインで一部暴行を伴う多衆の威力をもつて、実力で業務妨害をしている。これらの事実は、この組合の組合員には争議に際して非組合員が業務に従事することを実力を行使してでもこれを阻止できるという誤つた考を持つ者が多いことを示している。ところが平野委員長はじめ組合幹部においてそうした誤つた考え方の是正に努力したあとは少しも窺われない。本件組合の行う争議にはいつもピケラインで不当違法な行為が繰返された事実から見ると、むしろ組合幹部自身がそうした誤つた考え方の下にピケットを指導したものと推認さるべきである。

更に平野委員長はじめ組合幹部が、前記争議条項の要求するとおり、二日前の予告をして争議を実施しておれば、その間諸種の協定その他の方法により、この種不祥事件の起らないよう対策を講ずることも必ずしも不可能でなかつたであろうことに思いをいたすなら、少くとも組合幹部に、本件ピケラインにおける不当違法な行為を避ける注意、努力に欠けるところがあつたという非難を免れ得ないであろう。

従つて、原告が被告における審理過程において組合幹部に、前記ピケラインにおける紛争の責任の一半を問うたからといつて、その故に本件解雇を正当な組合活動を理由とする不当労働行為と判断するのは当らない。

(三)  ピケラインにおける紛争について

被告は、運転規則に違反してバス通用門を疾走通過しようとするバスを山口が停車させたこと、他のピケ隊員が右バスを取囲んで争議に協力するよう説得したことは正当な組合活動であつて、これを理由に解雇したことは正当な組合活動に対する差別待遇に外ならないと判断している。

(1) しかし前記渡辺飯が運転規則に違反してバス通用門を疾走通過しようとしたことはなく、また他のピケ隊員が渡辺に争議に協力するよう説得したこともない。ピケ隊員は争議に同調しないで就業しようとする者があれば、実力を行使してでも、これを阻止してよいという誤つた考え方の下に多衆の威力を示し、一部暴行を伴う実力をもつてバスの出門を阻止したのである。

かような行為が正当な組合活動であり得る筈がないのである。

(2) 加藤、鴨志田、高梨、小林の解雇は前記ピケラインにおける行動を理由とするものではない。

右四名が前記ピケラインの紛争に際しどの程度の役割を果したか当時明確には判明していなかつた。従つて部隊もこの四名について右ピケラインにおける行動を理由に解雇したものでなく、前記のとおり右四名の不当な欠勤を理由とするものであるから、被告の命令書記載のように「ピケラインにおける前記四名の所為は何れも正当な組合活動の範囲内であつて、これを理由として解雇することは正当な組合活動に対する差別待遇である」とするのは誤りである。

(3) 山口についても、同人のバス出門の阻止、不当な欠勤がその解雇を決定する事情の一となつたことは前記のとおりであるが、軍は同人が米軍士官に対して威迫を加えた点を最も重大視して解雇を決定したものであつて、仮に山口にかかる威迫行為がなかつたとしても、軍が同人にそうした事実があるものと認めるについて相当の資料があるのであるから、これが誤認にもせよ、同人に対する解雇がその正当な組合活動を理由とするものでないことは明白である。

(四)  欠勤について

被告は、当時部隊で労務者が欠勤するときは、文書又は口頭で所属フオーマンにその旨届出ることを要しただけで欠勤が許される慣行にあつたという前提の下に、加藤、鴨志田、高梨、小林および山口の欠勤も、一身上の都合によるという理由の欠勤届が提出されているから、結局右五名の欠勤は正当な欠勤であるというに帰する旨の判断をしているが、被告の前提とする部隊の慣行は、常識上当然許可さるべきものと思われるような理由による一、両日かせいぜい二、三日の欠勤についての慣行であることは明白であつて異例の事由による長期の欠勤、殊に本件のように逮捕状による逮捕を免れるための一〇日間の欠勤についてまで一身上の都合という理由で届出さえすれば許可されるというような慣行を許容する職場が存在するとは考えられないところである。

仮に右五名が真実ありのままに逮捕を免れるため所在をくらますという理由で欠勤を申し出たとすれば、当然不許可となるべきものであるから、それにもかかわらず、欠勤すれば解雇その他の処分を受くべきは当然であつて、仮に一身上の都合という理由による欠勤届を軍が軽信して一たんは許可の扱いをしたとしても、後日真相が判明した場合、これを処分の対処としても不可とすべき理由はない。

従つて、かかる欠勤を正当とし解雇の理由とならないとする被告の判断は誤りである。

(五)  被告のいう再度の問責について

被告は、加藤の昭和二八年七月一七日朝の非行、鴨志田の同年四月二七日の非行について、それぞれ、それだけ切り離して既に譴責処分済であるから再度問責する根拠に乏しいとしているが、同人らの解雇決定にあたつて、これらの過去の非行が併せて考慮されることは当然のことである。

(六)  平野外六名の解雇と組合活動との関連について

被告は、本件解雇が訴外人らの正当な組合活動を嫌悪してなされたものと判断しているが、その正当な組合活動とは一体何を指すのか明確でなく、また鴨志田、高梨、峯村がピケラインの暴行者で解雇されなかつた青木と比較してどれだけ活溌な組合活動を行つていたというのが必ずしも明確でない。

右三名が職場委員ないし青年行動隊副隊長であつたが、青木がそうでなかつたという如きことは原告も軍も全然知らなかつたところである。仮に軍がかような差異があつたことを知つていたとしても、元来職場委員というもの自体が、その故に特に注目されて差別待遇を受ける程それ程有力な地位でないのである。

そして実質的な組合活動の点では、青木も本件争議に際し鴨志田らと同様にピケ隊に参加し、その際の行動によつて有罪の刑事判決を受ける程活溌な組合活動を行つているのである。この青木が解雇されず、無罪の判決を受けた鴨志田らが解雇されたことは、かえつて本件解雇が組合活動に着目してなされたものでないことを示している。

(七)  青木が解雇されなかつたことについて

被告はピケラインの暴行者青木が解雇されなかつたことをもつて、組合活動による差別待遇を理由づけようとしているが、同人が解雇されなかつたことについてはそれだけの十分な理由があるのである。

すなわち(イ)本件解雇当時は軍側において青木がどのような暴挙を働いたか判然としなかつたし、(ロ)青木に対しても逮捕状が発せられたが、同人は他の者と違つて逃亡による不当な欠勤をすることなく、素直に逮捕に応じて取調を受け、釈放されるや直ちに出勤して職務を遂行している上、(ハ)同人は峯村らのように過去に譴責処分を受けたことがないばかりでなく、(ニ)従来勤務がまじめで、昭和二八年暮には三年間無事故運転の故をもつて、軍から表彰された程成績も優秀であつたのである。

以上の事情があるから、当時同人が解雇されなかつたことは、むしろ当然のことであつた。

従つて、同人が解雇されなかつたことをもつて、右訴外人らに対する解雇が組合活動による差別待遇であることを推論しようとすることは誤りである。

(八)  解雇の時期について

被告は本件争議直後に組合の活動分子が多数解雇されたことをもつて、右解雇を不当労働行為と認定する一根拠としているが、本件解雇は右争議におけるピケラインの暴挙の実行者とそれに引続く不当な欠勤者をその理由で解雇したものである以上、争議直後に解雇者が多数出ることは当然の現象であつて、被告が本件解雇の性質上当然すぎることをもつて不当労働行為認定の一根拠とすることは誤りである。

(九)  以上の諸理由によつて、被告の命令書中の判断は本件解雇が不当労働行為であることを理由づけ得ないのである。

第五被告の再答弁

原告は、鴨志田、高梨、峯村が青木と差別される程活溌な組合活動をしたということが命令書では必ずしも明らかにされていないという。

しかし、右三名は、横浜陸上輸送部隊バスセクションに勤務していたが、右バスセクションでは、(イ)別紙命令書四認定のように昭和二七年九月の争議があり、(ロ)昭和二八年七月四日(軍休日)には国会動員に参加した高梨、峯村等を含むバスセクションの組合員が欠勤を理由として譴責処分に付され、更に(ハ)別紙命令書四のとおり同月一七日にはバスセクションの従業員の不満がつのり、自然発生的に集団遅刻、早退が行われ、参加者全員が譴責処分に付され、その際集団遅刻、早退の状況を説明していた高梨が軍によつて即日解雇され、それを契機として翌一八日バスセクションの白川支配人追放等の要求を含む同月末の争議に入つたように、昭和二七年四月の講和条約発効により駐留軍労務者が争議権を獲得して以後、同部隊においては、それまで鬱積していた従業員の不満が爆発し、紛争を重ねて来たのであるが、一方その業務が軍人およびその家族等が直接利用するバス運行に関するものであるところから、その紛争の影響するところも直接的なものがあり、軍の注目するところであつた。

このようにバスセクションが紛争の中心であり、組合員と直接接する日本人幹部の追放が要求され、異例の三者会談まで持たれた状況においてその職場の組合活動の中心である職場委員を部隊(日本人幹部を含めて)が知らないということはあり得ないことである。

現に昭和二八年七月二九日早朝突発的に起つたピケラインの紛争に関して白川支配人は紛争現場附近にいた多数の組合員の中から、右紛争に何ら関係のないバスセクション選出の執行委員あるいは職場委員であつた加藤、高梨、鴨志田らを選び出して警察に通報しているのである。

なお、高梨、鴨志田、峯村の組合活動で命令書に省略されているものを挙げれば、(イ)高梨は、職場委員として白川支配人と職場の問題について交渉し、同年七月四日の国会動員に参加し、(ロ)鴨志田は職場委員としてバススケジユールが労働基準法に違反するとして反対闘争を行い、(ハ)峯村は職場委員として、バスセクションにおける職場の問題について活動し、同年七月四日の国会動員に参加し、同年七月末の争議に際しては青年行動隊小隊長として活動した。

以上のとおりであるから、青木については組合活動上着目されるような事情が全然ないのに反し、部隊が右三名を熟知し、バスセクションの職場委員としての組合活動の故に注目していたことは容易に推認し得るところである。

第六立証〈省略〉

理由

第一原告の請求原因第一項、被告の命令書一、二認定の各事実は当事者間に争がない。

第二平野外六名の組合経歴

被告の別紙二命令書三中峯村が組合の職場委員、小林が同青年行動隊長、鴨志田が同職場委員、高梨が同職場員、副青年行動隊長に選出されたことを除いて、加藤、平野、峯村、小林、山口、鴨志田および高梨の組合加入、組合役員の経歴は当事者間に争なく、真正に成立したものと認める乙第一号証の四、七と証人峯村省三の証言によれば、鴨志田、峯村は昭和二八年五月頃から組合の職場委員に選出され、峯村は同年七月のストライキに際しては青年行動隊の小隊長に選ばれたことが認められ、証人小林一夫の証言によれば、小林は右ストライキに際しては青年行動隊長を勤めたことが認められ、証人高梨喜久二の証言によれば、高梨は右ストライキ当時青年行動隊の副隊長で職場委員であつたことが認められる。

第三平野外六名の解雇の経緯

一  被告の命令書四、五、六各認定の事実は当事者間に争がない。

二  昭和二八年七月二九日のビケラインにおける紛争

(一)  昭和二八年七月二九日(ストライキの二日目)の午前六時頃横浜陸上輸送部隊のバス通用門附近に組合員がピケツトをしていたところ、争議に参加しない駐留軍労務者の運転する一台の軍用バスがピケラインを通過して進行し、これに続いて渡辺飯運転手の運転する軍用バスが進行して来たところ、山口が右バスの進路に横臥し、右バスが結局停止したことは当事者間に争がない。

成立に争ない乙第一号証の六一、同乙第二号証の一一、同乙第五号証の三と証人渡辺飯、同山口倉吉の各証言とを綜合して見ると、(イ)山口は当時組合の書記長として右ストライキに際しての青青年行動隊の編成、紛争の処理などを担当していたが、七月二九日午前六時過ぎ右部隊のバス通用門附近に組合員十数名がピケツトをしていた附近にいたこと、(ロ)当時山口や組合のピケ隊員は同通用門から出るバスの運転手は規則に従い部隊内では時速五マイル以下で走り、出門に際しては一旦停車してゲートの守衛に運転手の氏名、車輛番号、行先等について点検を受けるものであり、かつ、右通用門よりその前の電車通りへ出るのはいわゆる狭い道路から広い道路に出ることとなるので道路交通取締法第一八条により一時停車又は徐行するものと考え、その際運転手に争議に協力し、就労しないよう呼びかけるつもりでいたところ、非組合員である日本人労務者の運転する数台の駐留軍バスが順次出門しようとしたので、ピケツトをしていた組合員が走りよつたが、先頭のバスは守衛の点検、電車通りへ出るに際しての一時停止又は徐行の措置をとらずにピケラインの手薄なところを縫つて出門進行し、これに続いて非組合員の渡辺飯が軍用バスを運転して前同様で進行しようとしたので、組合員が右バスの進行を止めるため駈けより何人かが旗竿を持つて右バスの進路にすわり、次いで山口もその進路に横臥したので、バスもその進行を停止したところ、二、三十人の組合員が右バスをとりまいて立ちふさがり、何人かが渡辺運転手の座乗する運転台横の窓を外からあけ、外側から数人が旗竿で同運転手をつつき、かつ、何人かが右の窓越しに乗降口のドアを開閉するハンドルを押して乗降口のドアをあけ、峯村らを含む四、五人の組合員がバス内に入り、峯村が最も渡辺運転手に近づいて、馬鹿野郎、同じ日本人ではないかといつたり、同運転手をこづいたり、同人のシヤツを引張つたりして、バスの外にいる組合員と共同で右運転手を運転台横の窓から頭を下に道路上に引きずり落し同人に若干の負傷をさせたことが認められる。

右認定に反する証人峯村省三の証言、成立に争ない乙第五号証の六、同乙第二号証の六中峯村の各供述記載は採用しがたい。

なお、原告は右紛争に際し、山口がその場に来合せた米軍士官マーチヤント大尉の腕をとらえ、危害を加えんとする行動に出でたと主張する。

成立に争ない甲第八号証の一、二にはこれに添う記載があるが、右甲号各証に前記主張事実を肯認するに足りる十分な証明力があるとは認めがたい。

更に原告は、前記軍用バスが運転規則に違反したことはないと主張する。しかし原告は基地外において右バスについて道路交通取締法の適用を排除し得る根拠を主張しないので前記のとおり認定すべきものである。

(二)  右紛争に関して、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田、峯村および青木の七名に逮捕状が発せられたこと、同人らの欠勤、逮捕、釈放、起訴、不起訴、横浜地方裁判所における判決の結果が被告命令書七末段および別表のとおりであることは当事者間に争われておらず、成立に争ない甲第一八号証、同甲第一〇号証の二によれば、東京高等裁判所は昭和三〇年六月一四日山口、峯村および青木の三名について威力業務妨害、峯村についてなお暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項について有罪、高梨、鴨志田に対する検察官の控訴および青木の控訴を棄却する旨の判決を下し、該判決中高梨、鴨志田の無罪は上告期間の徒過により確定し、次いで最高裁判所は昭和三三年六月二〇日右判決に対する山口、峯村および青木の上告を棄却したことが認められる。

三  個人別の解雇理由

平野、加藤、峯村、小林、山口、鴨志田および高梨の解雇について軍が示した解雇理由、神奈川県知事が労働委員会の審理において右の解雇理由を敷衍して述べた理由が被告の命令書八摘録のとおりであつたことは当事者間に争がない。もつとも原告が本訴において主張する同人らの解雇理由は本判決事実摘示のとおりである。

第四平野外六名の解雇理由に対する判断

一  平野団十郎の解雇理由について

(一)  協約違反の争議について

昭和二八年七月末頃全駐留軍労働組合と原告との間に有効に存在した労働協約第二七条の二に「争議行為を行う場合は中央においては五日、地方においては二日以前に他方に文書をもつて通知しなければならない」と定められていたことは当事者間に争がない。

原告は昭和二八年七月末の組合のストライキは右協約所定の通知なしに行われたもので協約違反のストライキであると主張する。

真正に成立したものと認める甲第四号証の一一(調達庁労務部作成全駐労関係スト事前通告調べ)によれば、昭和二七年一二月一五日頃から昭和三二年三月頃まで全駐労本部ないしその下部組織は殆んど全部個々の争議ごとに中央においては五日地方においては二日の予告期間を置いて争議の通告をしていることが認められ、更に成立に争ない甲第五号証、同乙第一号証の二一によれば、組合は本件不当労働行為救済申立ないし再審査被申立人として神奈川県地方労働委員会や被告における審問の最終陳述書において、いずれも本件ストライキ実施が協約に定める事前通告手続上若干瑕疵があつたことを認めているところから見ると、本件争議当時においても協約当事者間においては、前記協約第二七条の二は個々の争議行為の実施前その二日又は五日前にその通告をする規範を設定したものと解されていたと認めるのが相当である。右認定に反する証人市川誠の証言部分は採用しがたい。

しかし右協約条項の趣旨は、その文言から見て無警告のストライキを避けることを主たる目的として締結されたものと認めるのが相当であつて、この点について見ると、組合は昭和二八年七月一八日横浜渉外労務管理事務所長あて「ストライキ通告書」をもつて「一九五三年七月一八日以降ストライキに突入する。ただし実施の日時についてはその都度通告する。」と通告したことは当事者間争なく証人平野団十郎の証言によれば、組合はその要求について同月二一、二二、二三日と三日間の団体交渉を行つたことが認められ、更に同月二七日には神奈川県知事側、軍側、全駐労神奈川地区本部の三者会談が開かれたが決裂し、組合は同日夜先のストライキ通告に基いて翌二八日午前六時より七二時間のストライキを行う旨を神奈川県知事側に通告し、同日時よりストライキを実施したことは当事者間に争がないところである。

以上の諸事情から見れば、当初の争議予告は包括的ではあるが、組合の要求に関する団体交渉の決裂等争議に入る常識的な事態の経過後にストライキに入る趣旨の通告と認められるから、相手方に十分ストライキに対処できる余裕を与えており、しかも団体交渉の決裂を経て通告後一〇日の後にストライキに入つているのであるから、無警告のストライキを避けようとする前記協約条項の目的は実質的には達成されていると認めるのが相当である。

そしてこの予告によつて、原告ないし米軍が迷惑を蒙つたという的確な主張、立証(原告は二日前の予告がなされていれば、前記ピケラインの紛争を避けるための協定が締結されたであろうというが、右紛争はストライキ二日目に起つたもので、その第一日目に原告主張のような協定を締結しようとする努力がなされたことの主張はない。)もないから、被告の右争議条項の趣旨に対する判断の当否は別として、被告が部隊において平野の争議予告を違法とし、その故に同人を解雇したものと認めることは不相当であるとした判断に被告に委ねられた裁量権の範囲を逸脱した違法があるとは認められない。

原告は、米軍が平野を雇用することが軍の利益にならないとした理由の一半は同人において協約違反を指導し敢行せしめたことにあるというが、証人平野団十郎の証言により認められるように本件争議は闘争委員会の決議に基いて行つたのであるから、平野が組合の委員長の地位にあつたからといつて、直ちに本件争議を指導、敢行せしめたとはいいがたく、その他右主張事実を肯認するに足りる証拠はない。

(二)  ピケラインにおける紛争と平野の阻止責任

原告は平野が組合役員として前記認定の昭和二八年七月二九日のピケラインに生じたような紛争を避けることについて注意、努力を欠いたものであると主張する。

証人平野団十郎の証言によれば、組合の闘争委員会において右争議に行うピケツトの方法は説得によることが決定されていたこと、紛争の起つた右七月二九日には平野は組合事務所にいて紛争の現場にいなかつたことが認められる。

右闘争委員会の決定から見ると前記認定のピケラインにおける紛争は偶発的なものであつて、闘争委員会等の組合機関の指令によるものではないと認める外ないものである。

原告の主張するように組合が昭和二七年九月にした争議に際してもピケツトに伴う流血の事件を起し、更に昭和二八年七月の争議についても前認定の紛争を起したことから直ちに右紛争は組合幹部の誤つた指導によるものと推論することはあまりに性急に過ぎ採用できないところである。

以上のように七月二九日の紛争は偶発的なもので、平野はその場にいなかつたのであるから平野に右紛争を阻止するについて懈怠があつたとはいいがたい。

また原告は前記ストライキの実施通告が二日前になされていたらピケラインの紛争を避けるための争議協定を結ぶこともできたであろうというが、前説明のとおりストライキの実施通告が前述の如き方法であつたからといつて、直ちに平野に前認定の如き紛争を避けるについて欠くところがあつたとは認められないところである。

(三)  平野の欠勤について

(1) 証人平野団十郎の証言、成立に争ない乙第二号証の四によれば、(イ)平野は通常時のスケジユールとしては、昭和二八年八月五日は午前七時まで勤務時間を割当られていたが、同日の午前六時までは軍側のロツクアウトで就業し得なかつたので、結局同日は一時間欠勤したこと、(ロ)スミス代将はロツクアウト解除の連絡の不十分なことによる遅刻、欠勤の発生を考慮して当日の遅刻、欠勤を認めると言明したこと、(ハ)平野は翌六日夕刻より翌七日朝まで勤務すべきことに定められていたが、衆議院の労働委員会より電報で六日午後一時に出席を求められたので、事前に自己のフオーマンに右電報を見せて国会で遅くなれば欠勤するからと届け出で更に同日午後八時頃同フオーマンに国会の用事で遅くなつたので欠勤する旨の連絡をし、いずれもその了解を得たことが認められる。

原告もこの三日間の欠勤は一概に非難できないものであることを認めているところである。

以上によれば、平野の八月五日の一時間の欠勤、翌六日夕刻より翌七日朝までの欠勤について非難さるべき事情はないというべきである。

(2) 成立に争ない甲第一六号証の一、二、同乙第二号証の一三、同乙第四号証の四と証人平野団十郎、同鈴木正隆の各証言によれば、(イ)平野は昭和二八年四月頃から日本平和連絡会、日本中国友好協会、日本赤十字社のいわゆる引揚三団体の行う中国からの日本人引揚に関し引揚船に乗船してその世話をするよう依頼され、同年六月横浜陸上輸送部隊の人事担当の将校に対し右引揚船乗船を理由として同年七月一〇日頃から約一〇日間の予定で欠勤の許可を求めたところ、その期間無給の条件(この条件は平野も承諾した。)で許可される旨告知されたこと、(ロ)ところが右三団体の都合で平野の乗船が遅れ、同年八月上旬三団体側より電報で平野に第六次引揚船の乗船代表の一人として舞鶴に赴き、同月一一日か一二日頃舞鶴港に入港する第五次引揚船の乗船代表との事務の引継をするように指令されたので、平野は同月一〇日右事務引継のため同日より一五日まで欠勤する旨の届出をフオーマンに提出したが、部隊将校から不許可とされたこと、(ハ)平野は右欠勤願が不許可となつたことを知らず(右不許可は同人の住所にも連絡されなかつた。)、舞鶴に赴き八月一五日まで欠勤したことが認められる。

以上の事情から見れば(イ)認定の許可願は平野の乗船する日時が確定しないときに大体の予定について許可を受けたのであるから、平野が日時が多少異つても特別の状況の変化のないかぎり引揚船乗船に伴う欠勤について許可を受けたものと考えたとしても必ずしも責められない状況にあつたものというべきである。

そして証人鈴木正隆は、昭和二八年八月一〇日頃は同年七月頃と違つてストライキ、ロツクアウトの後のため忙しかつたというが、同人の神奈川県地方労働委員会における記憶の新しい時の証言(乙第二号証の一三)によると両月ともに忙しいことに大差がない趣旨の証言をしているところから見ると右八月は争議のため多忙であつたとはいえ、その前月の七月と比較して格段の差があつたと見るよりは、むしろ右第二号証の一三を措信さるべきものと見るのが相当である。

従つて平野が許可を受けた同年七月一〇日頃から約一〇日間より約一ケ月近くの差があるとはいえ、予め了解を得ているつもりで同年八月一〇日、当日から五日間の欠勤届を提出してその許否を確めずに舞鶴に赴いたことも一概には責めがたいところである。

そして成立に争ない乙第二号証の一〇によれば横浜陸上輸送部隊では昭和二八年八月まで無断欠勤一四日以上は原則として解雇されるが一〇日の欠勤で解雇となつた例がなかつたことが認められるので、平野の五日間の欠勤程度のことがその解雇の理由になつたとは認められないところである。まして平野本人又はその留守宅に対しても前記不許可の通知がなされなかつた本件ではなお更のことである。

二  山口倉吉の解雇理由について

(一)  米軍士官に対する威迫について

前説明のとおり、山口が同年七月二九日のピケラインに紛争のあつた際米軍士官マーチヤント大尉に危害を加えんとしたことを認めるに足りる証拠はない。

原告は部隊は相当の資料によつて山口にかかる事実があつたものと認め、誤認にもせよ、その事実を重大視して同人を解雇したものであるから、同人に対する解雇が不当労働行為を構成する筈がないと主張する。

しかし原告の主張する山口の解雇理由の一を立証する的確な証拠のないことをもつて同人の解雇理由が根拠薄弱とする資料の一と判断することはむしろ当然であつてまた被告が原告のいう解雇理由が根拠薄弱なことを不当労働行為認定の一資料としたことは違法とは考えられない。

(二)  バスの進行阻止について

山口が同年七月二九日のピケラインの紛争に際し渡辺飯の運転するバスの進行を阻止する行為をしたことは前認定のとおりである。

しかし山口の前記行為は、すでに説明したとおり(イ)渡辺が道路交通取締法を無視してバス運転進行しようとする際その進行を阻止するのに協力したものであり、(ロ)またバスの進行を真先かけて阻止したわけではなく、証人渡辺飯の証言によれば、渡辺は当時山口以外の者が旗を持つたまま進路上に座り込んだのを目撃したためバスの進行を止めたのであつて、山口が進路上に寝たことは全然気づいていないのであり、(ハ)更に山口と旗を持つて座つた者以外の組合員も右両名と殆んど時を同じくしてバスの進路にたちふさがつたのであるから、これらの事情から見ると、山口の行為ももとより不穏当な行為には違いないが、山口にかかる程度の行為があるからといつて、直ちにその責を問い同人を解雇することを妥当なものとはしなかつた被告の判断が不当であるとはいいがたいところである。

もつとも被告の命令書九の第二によれば、山口の前記行為をもつて「正当な組合活動を逸脱したものとは認められない」としているようであるが、被告の判断の趣旨は命令書九の第四のとおり軍および原告側の主張する山口の解雇理由が根拠薄弱なことをもつて同人に対する解雇は同人の平素の組合活動を嫌悪してなされたものでその他の理由は単に藉口したものと認定する資料となしたものと解せられるから、結局山口の前記行為をもつて同人の解雇を正当とする理由とはならないものと判断したものと解せられる。

(三)  山口の欠勤について

この点は、小林、加藤、高梨および鴨志田の解雇理由と共通の問題であるから後に判断する。

三  小林、加藤、高梨、鴨志田および山口の欠勤について

右五名が一身上の都合による欠勤届を提出して昭和二八年八月五日から同月一五日前記ピケラインの紛争の際の犯罪容疑で逮捕されるまで欠勤したこと、右欠勤について部隊の許可がなかつたことは当事者間に争われていない。

原告は右五名は適式に発布された逮捕状による逮捕を免れるためにその所在をくらまし、右期間軍の許可なく不当に欠勤したものであるから同人らが解雇さるべきことは当然であると主張する。

しかしながら成立に争ない乙第二号証の一〇、同乙第四号証の三、証人鈴木秀男の証言によれば、前記ストライキ当時までの部隊の欠勤に関する取扱は駐留軍要員で監督的地位にある者でさえ「一般的にいえば、欠勤届の提出だけでそのまま容認されておつて、極端にいえば事後承諾という意味にとれる」と思つていた程厳格ではなく、欠勤の理由も家事都合だという漠然たる理由で別に不可とされず、当時まで欠勤届が不許可となつた例もなく、欠勤届を提出してタクシー会社などに働いていたというような極端に悪質な欠勤の場合を除いて一〇日程の無許可欠勤で解雇となつた例もなかつたことが認められる。

もとより、原告のいうとおり、右五名は逮捕状が出ていることを知つているのであるから、速やかに警察に出頭して真相を明らかにした方がよかつたことは論のないところではあるが、かかる議論によつて右訴外人らを非難し同人らを解雇することが当時の同人らの職場の実状に相応しいかどうかはまた別問題である。

被告は、原告のいうが如くに欠勤の期間や理由を問わず届出さえすれば欠勤して構わなかつたという議論をしているわけではなく、前記認定の当時における欠勤の取扱の実状から見て、右五名が一〇日間の欠勤を理由に解雇されたと認めることはできないと判断したものであつて、かかる判断はむしろ当時の職場の実状に即した判断と認められるから、違法、不当な判断とすることはできない。

原告は、右五名の逮捕による欠勤をも同人らの解雇理由としているが、右五名の逮捕による欠勤は同人らにとつては止むを得ない事由によるものという外ないから、部隊がこの間の欠勤を重要視して同人らの解雇を決定したものと認定することはできないところである。

四  加藤、高梨の昭和二八年七月四日軍休日における無断欠勤について

加藤、高梨が前記日時欠勤したことは当事者間に争われていない。

(一)  加藤の欠勤について

成立に争ない乙第二号証の一一によれば、加藤は軍休日ではあつたが、前記日時監督者から出勤を命ぜられていたのに無断欠勤し、そのためその頃譴責を受けたことが認められる。

成立に争ない乙第五号証の二中加藤が右七月四日の欠勤についてフオーマンの了解を得た旨の供述記載があるが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一号証の三、証人加藤景一の証言と対比し採用できない。

しかし、右欠勤はすでに譴責で済んでいるのであるから、部隊は、かかる行為だけで同人を解雇する程の事情としなかつたものと認められる。

(二)  高梨の欠勤について

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一号証の八、成立に争ない乙第二号証の五、同乙第五号証の七、証人高梨喜久二の証言によれば、高梨は前記軍休日には出勤するよう定められていたが前日の三日雨宮フオーマンに組合の指示により駐留軍要員の退職金を現金で支給するよう国会へ陳情するのに参加する事情を告げて軍休日の欠勤について雨宮の了解を得たことが認められる。

右認定に反する成立に争ない乙第一号証の七三、同乙第二号証の一四中雨宮一弘の供述記載部分、証人雨宮一弘の証言は採用しない。

従つて高梨は右軍休日の欠勤について非難さるべきところはないというべきである。

五  加藤の昭和二八年七月一七日行われたいわゆる山猫争議参加について

真正に成立したものと認める乙第一号証の三、八、成立に争ない乙第一号証の三八と証人加藤景一の証言によれば、横浜陸上輸送部隊のバス職場の従業員(組合員、非組合員を含めて)の大部分が、その職場の労働条件に不満を持ち、当日出番の者が二時間遅刻し、明番の者が二時間早退してその間職場放棄を図つたこと、加藤はこれに参加し、そのため譴責処分を受けたことが認められる。

原告はこれを組合の統制を乱して起した争議(いわゆる山猫争議)というが、仮にそうであつても、加藤はこの件の首謀者であつたと認めるに足りる証拠はなく、単に同僚と共に二時間の欠勤をしたに過ぎず、すでに譴責を受け処分済となつていることであるので、部隊はかかる行為だけで同人を解雇する程の事情としなかつたものと認められる。

六  鴨志田利之の職場放棄について

鴨志田が昭和二八年四月二七日午後六時五分AFFE(極東陸軍司令部)に到着すべきバスを運転したが、所定の時刻より五分遅れて同所に午後六時一〇分頃到着させたことは被告の明らかに争わないところである。

証人白川戦治の証言によれば、鴨志田は当日午前七時予備運転手として出勤し、当日午前一一時半頃から市内コースを運転し、午後五時一五分頃バス発着所の配車係から鴨志田の勤務は午後六時半までと告知されたのにかかわらず、午後六時一〇分頃勤務を離れ、そのためその後のバスが一回運転休止となつて乗客に迷惑をかけたことが認められる。

もとよりかような行為は鴨志田の職務懈怠であるが、同人は既にこの件について譴責を受けたことは当事者間に争ないところであるから、部隊は鴨志田を右職務懈怠だけで解雇する程の事情とは認めなかつたものと認められる。

第五不当労働行為の構成

一  以上のとおり、平野、山口、加藤、高梨、小林、鴨志田に対する部隊の解雇理由はいずれも根拠が薄弱というべきであつて、同人らの解雇を決定したものと認めることができないところである。

原告は、部隊は相当の資料によつて山口に原告主張のマーチヤント大尉に対する威迫行為があつたものと認め、誤認にもせよ、その事実を重大視して同人を解雇したものであるから同人に対する解雇が不当労働行為を構成する筈がないと主張する。

しかし、原告の主張する山口の解雇理由の一を立証する的確な証拠のないことをもつて、その解雇理由が根拠薄弱と見ることはむしろ当然である。

原告は米軍がたとえ誤認にもせよ、右のように確信して解雇したというのであろうが、根拠薄弱の理由で解雇したものと認めることがそもそも合理的ではないのであるし、その上本件解雇に至るすべての経過から見て米軍がかように信じて解雇したと認めるのが相当であるとは判断しがたいところである。

鴨志田の昭和二八年四月二七日の職務懈怠、加藤の同年七月四日および同月一七日の無断欠勤についてはそれぞれ譴責処分を受けていることは、原告の主張するように同人らの解雇決定に当つて同年八月以降の解雇理由と併せて考慮さるべきことは当然であるが、被告の判断はこれらの過去の事由についてはすでに譴責されているのであるから本件解雇を決定した事情とは認められないこととかかる過去の事情があつてもその後の事情の程度から見て同人らが解雇されることが合理的とは認められないと判断した趣旨であつて、前認定の諸事情から見るとかかる判断が違法、不当とは認められない。

一方右六名はいずれも組合内において前認定のとおりの地位にあつて(加藤は執行委員、鴨志田、高梨は職場委員をしていた者であるが、成立に争ない乙第二号証の一一によれば、右三名はその職場の上司から組合の関係で何かあるときは必ず出て来る人物と誤解されていたことが認められる。)、同年七月二八日ないし三〇日までのストライキおよびこれに続く同年八月五日までのロツクアウト直後組合の執行委員長平野、副委員長小林、書記長山口、上司より組合との間に問題があると必ず出て来る人物と理解されていた執行委員加藤、職場委員鴨志田、高梨が相次いで解雇され、しかもその理由が必しも当を得ていないものである以上同人らの解雇は前記七月末の争議直後に組合役員ないし組合内の活動家であつた同人らを解雇することとによつて一般組合員に組合活動に対する挫折感をそそることを企図してなされたもの、従つて同人らについていえば、同人らが前記組合内の役職についてそれぞれ組合活動をしたことを理由としてなされた不公正な差別扱いと認めるのが相当である。

原告は、右六名を争議直後不当な欠勤をした故で解雇したのであるから、争議直後解雇したことはむしろ当然であつて、かかる事情は不当労働行為を推認せしめる事情とならないという。

しかし被解雇者について解雇されるのも止むを得ない事情があれば格別、争議直後の根拠不十分な理由で組合内の前記地位にある人々を殆んど同時に解雇することは、同人らの争議行為を嫌悪し併せて一般組合員に対し組合活動に対する挫折感をそそることを企図しているものと推認される事情というべきである。

二  従つて、右六名に対する解雇は不当労働行為と認むべきものであるから、神奈川県地方労働委員会の右六名に関する救済命令に対する原告の再審査申立を棄却した被告の命令は適法である。

第六峯村の解雇について

前記認定のとおり、峯村は昭和二八年七月二九日ピケラインの紛争に際し渡辺の運転する軍用バスに乗り込み、同人をこづいたり、同人のシヤツを引張つたりしてバス外の組合員と共同して同人を運転台横の窓から頭を下に道路におとして同人に若干の負傷をさせたものであり、証人渡辺飯の証言と成立に争ない乙第一号証の二〇によれば、峯村に前記行為のあつたことは渡辺より部隊へ報告され、部隊は、峯村の前記暴行を理由として同人を解雇したものと認められる。峯村に前記行為がある以上、部隊がこれを理由として同人を解雇することを不相当とするわけには行かないから、同人の解雇は、真実右認定の暴行を理由とするものと認めるのが相当であつて、本件に現われた全立証によつても同人に対する解雇が同人の正当な組合活動を理由とすることを肯認することができない。

従つて被告の命令中峯村の解雇を不当労働行為として原告の再審査申立を棄却した部分は違法であるからこれを取り消すべきものである。

第七結論

以上のとおり、神奈川県地方労働委員会の峯村省三に関する救済命令に対する原告の(神奈川県知事の名における)再審査申立を棄却した主文第一項の被告の命令部分は違法であるから、この限度においてその取消を求める原告の本訴請求は理由があり認容すべきものであるが、その余の原告の本訴請求は失当として棄却すべきものである。

よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 半谷恭一)

(別表一)

人名

雇用年月日

検挙年月日

当初の解雇年月日

釈放年月日

訂正した解雇年月日

備考

峯村省三

昭和二六年四月

昭和二八年八月一日

昭和二八年八月一一日

昭和二八年八月一一日

昭和二八年八月一九日

起訴

有罪

山口倉吉

〃二五年二月

〃〃八月一五日

〃〃八月一一日

〃〃八月二六日

〃〃八月二六日

起訴

有罪

加藤景一

〃二六年九月

〃〃八月一五日

〃〃八月一九日

〃〃八月一七日

〃〃八月二一日

不起訴

鴨志田利之

〃二七年五月

〃〃八月一五日

〃〃八月一九日

〃〃八月二六日

〃〃八月二六日

起訴

無罪

高梨喜久二

〃二四年六月

〃〃八月一五日

〃〃八月一九日

〃〃八月二六日

〃〃八月二六日

起訴

無罪

小林一夫

〃二四年六月

〃〃八月一五日

〃〃八月二〇日

〃〃八月一七日

〃〃八月二五日

不起訴

平野団十郎

〃二四年六月

〃〃八月二一日

〃〃八月二五日

(別紙二)

命令書

(不再第三十一号)

横浜市中区日本大通り神奈川県庁内

再審査申立人     神奈川県知事      内山岩太郎

横浜市西区浅間町二丁目七八番地

再審査被申立人    全駐留軍労働組合神奈川地区本部

横浜陸上輸送部隊支部

右代表者委員長      高橋千進

(不再第三十四号)

横浜市西区浅間町二丁目七八番地

再審査申立人     全駐留軍労働組合神奈川地区本部

横浜陸上輸送部隊支部

右代表者委員長      高橋千進

横浜市中区日本大通り神奈川県庁内

再審査被申立人    神奈川県知事      内山岩太郎

右当事者間の中労委昭和二十九年不再第三十一号、同第三十四号不当労働行為再審査申立事件について、当委員会は昭和三十年五月十八日第二二九回公益委員会議において、会長、公益委員中山伊知郎、公益委員細川潤一郎、同吾妻光俊、同佐々木良一、同中島徹三、同小林直人出席し、合議のうえ次のとおり命令する。

主文

本件各再審査申立をいずれも棄却する。

理由

当委員会の認定した事実及び判断は左記のとおりである。

(使用者)

一、中労委昭和二十九年不再第三十一号事件再審査申立人、同不再第三十四号事件再審査被申立人神奈川県知事(以下知事という。)は調達庁設置法第九条及び第十条、昭和二十九年政令第一二四号、地方自治法第一四八条及び同条別表第三の三の二の規定に基いて神奈川県内における駐留軍の労務に従事する者の雇入、提供、解雇及び労務管理に関する国の事務を国から委任され執行するものである。

(労働組合)

二、中労委昭和二十九年不再第三十一号事件再審査被申立人、同不再第三十四号事件再審査申立人全駐留軍労働組合神奈川地区本部横浜陸上輸送部隊支部(以下組合という。)は在日米軍横浜陸上輸送部隊の駐留軍の労務に従事する日本人労務者約五百名をもつて組織する労働組合である。

右組合は、昭和二十六年八月結成されたものであり、はじめ全日本駐留軍労働組合に所属していたが昭和二十七年九月脱退し、昭和二十八年四月全駐留軍労働組合(以下全駐労という。)に加盟し全駐労神奈川地区本部(以下地本という。)傘下の支部となつた。

(平野団十郎外八名の組合活動)

三、本件関係九名、即ち、平野団十郎、加藤景一、峯村省三、小林一夫、山口倉吉、鴨志田利之、高梨喜久二、梅津千代雄、小池譲治は何れも右組合の組合員である。

平野は昭和二十三年十月以来右部隊に勤務し、昭和二十六年八月右組合結成以来委員長、加藤は、昭和二十六年九月以来右部隊に勤務し、昭和二十七年十一月以来右組合執行委員、峯村は、昭和二十六年二月以来右部隊に勤務し、昭和二十八年以来右組合職場委員、小林は、昭和二十三年五月以来右部隊に勤務し、昭和二十七年四月右組合執行委員、昭和二十八年五月以来副委員長、同年七月末の争議に際しては青年行動隊長、山口は、昭和二十五年三月以来右部隊に勤務し昭和二十七年十一月以来右組合書記長、鴨志田は、昭和二十七年五月以来右部隊に勤務し、昭和二十八年五月以来右組合職場委員、高梨は、昭和二十三年六月以来右部隊に勤務し昭和二十八年五月以来右組合職場委員、同年七月末の争議に際しては副青年行動隊長、梅津は、昭和二十六年八月以来右部隊に勤務し昭和二十七年十一月以来右組合執行委員、小池は、昭和二十七年八月以来右部隊に勤務し、昭和二十八年五月以来右組合執行委員にそれぞれ選任され組合活動を行つた外、いずれも後記ストライキにおいて積極的に活動した。

(昭和二十八年七月十八日スト通告に至るまでの経過)

四、これより先、昭和二十七年九月組合は給与の是正、労働条件の改善について要求したが容れられなかつたので、十日間にわたる激しいストライキを実施したが、根本的解決を見るに至らず、組合員の不満はおさまらなかつた処、昭和二十八年七月十七日朝部隊のバスセクションにおいて約二時間にわたる夜勤者二十四名全員の集団二時間早退(夜勤は朝八時半まで)昼勤者五十名中四十名の集団二時間遅刻(朝一番は六時半から)が組合の指令によらずして行われるに至つた。そこで軍側はこれら集団遅刻者の就労を拒否し、翌日出勤するよう命じた。高梨は、軍の就労拒否にも拘らず入門し、午後の出勤者に対して集団早退遅刻の状況を説明していたところ軍側に発見された。軍は同人に即日解雇通告を発した。そこで、組合は翌十八日横浜渉外労務管理事務所長宛

一、エリア、エックス、PX、クラブその他一切の着発コースの全面的改正

一、ゆとりのある交替時間と超過時間に対する賃金の支払

一、時速二十マイル以内で安全運転のできる走行時間の制定

一、一日走行哩数を四十哩以内とせよ

一、ナイトのチェックに雨具の支給

一、バスドライバー高梨喜久二の不当首切を全面的に撤回せよ

等二十二項目にわたる要求を提出すると共に、「一九五三年七月十八日以降ストライキに突入する。但し、実施の日時についてはその都度通告する」とのストライキ通告書を交付した。

(スト通告後スト実施に至るまでの経過)

五、軍は、梅津に対して(一)当部隊ではこの者をこれ以上必要としない(二)怠慢運転の理由で同年同月十七日付解雇予告を発し右予告は同月二十日頃梅津に送達され、更に小池に対して(一)当部隊ではこれ以上運転手として必要でない(二)現行規則と労働契約に違反した(三)タイムカードを押した後勤務を拒否しタイムカードを押さずに帰宅した等の理由で同年同月二十日付解雇予告を発し右予告は同日頃小池に送達された。

組合は翌二十一日両名の解雇撤回外十四項目にわたる追加要求を知事側に提出した。

地本も事態拾収の為に動いた結果、知事側、軍側及び地本の三者会談が七月二十七日に開催されたが徒労に終つた。

組合は、同日夜、先のスト通告に基いて翌二十八日午前六時より七十二時間ストライキを行う旨を知事側に通告した。

(スト実施及び妥結の経過)

六、組合のストライキは同年同月二十八日午前六時に開始され、同年同月三十一日午前六時に終了した。

軍は、先に解雇予告中の梅津小池両名を同年同月二十九日付で即時解雇に付し、同月三十一日以降無期限の作業所閉鎖を行つた。

知事側は、同月二十九日組合に対し、二十七日のスト通告は調達庁、全駐労間の昭和二十七年十一月二十九日付労働協約第二十七条の二争議を行う場合は地方においては二日以前に他方に文書を以て通知しなければならない趣旨に違反する等の申入を行つた。

知事側、軍側及び組合は、事態拾収の為三者会談を開催することを合意し、同年八月一日、三日及び四日の三日間にわたり三者会談(出席者組合側平野委員長以下五名、知事側佐々木渉外局長以下五名、軍側ジャカード大佐以下五名)を行い組合要求にかかる三十七項目について討議を行つた結果、全項目にわたり妥結点に達し、三者は「確認書」を作成調印し、八月五日午前六時軍側は作業所閉鎖を解き、同日組合側は闘争態勢を解いて就労するに至つた。

右妥結条項中に、高梨は前の解雇理由は不十分と認められるので復帰させること及び梅津並びに小池は復帰できないということが包含された。

(スト中七月二十九日ピケラインにおける紛争)

七、右ストライキ第二日目の七月二十九日早朝、部隊のバス通用門に組合員十数名がピケラインを張つていたところ午前六時過頃争議に参加しない労務者の運転する一台のバスが通用門を疾走通過してピケラインを突破し、つづいて更に一台が通過しようとした。道路交通取締法第十八条によると、車馬は狭い道路から広い道路に入ろうとするときは一時停車するか又は除行することを要し、右通用門はその規定を適用すべき場所であり、又横浜陸上輸送部隊運転手必携によると、優先通行権に基いて部隊行進を行う場合の外は部隊の運転手は一切の交通規則、交通標識、交通信号に従うことを要し、従来行われてきた方法としてはバスはバス通用門で一旦停車しチェックを受けたものであるが、右バスは、優先通行権に基く部隊行進の場合とは認められないのに拘らず、従来の方法を完全に無視していた。山口はピケラインにおいて紛争が生じたときの説得役として附近にいたが、この状景を見て二台目のバスの進路に横臥しバスを停車せしめた。ピケラインの組合員等は右バスの運転手渡辺飯に向つて、争議に協力しバスを発車させないよう説得しようとしたが、渡辺運転手はこれに耳を藉さずバスを動かしたため、山口は轢かれそうになつた。これを見た組合員等は激昂し、車にぶら下つたり、前に立ちはだかつたとき、ピケに参加していた組合員青木一夫はハンドルを動かなくするために、もつていた旗竿を窓から車内に突込み停車せしめ、数人が渡辺運転手を窓から引ずり下した。バスは傍にいた米軍人が運転してプールに引返した。

翌三十日この事件に関し、小林(青年行動隊長)山口(書記長)加藤(執行委員)高梨(副青年行動隊長)鴨志田(職場委員)小池(執行委員)青木の八名に対し七月二十九日逮捕状が発せられ、峯村、青木は八月一日逮捕され、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田は八月十五日逮捕され、小池は九月二十一日に逮捕された。然るに右八名の中、小林、加藤、小池の三名は不起訴となり、他の五名は暴力行為等処罰に関する法律違反及び刑法第二三四条容疑として起訴されたが同年十二月二十四日、横浜地方裁判所において、青木が刑法第二三四条についてのみ有罪、その他は全て無罪の判決を受け、目下検事控訴中である。なお、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田及び峯村は、争議妥結後逮捕に至るまでの期間及び逮捕勾留の期間中いずれも一身上の都合による欠勤届を各所属フォアマンを通じて軍に提出していたものである。

(平野団十郎外六名の解雇)

八、軍はストライキの後、平野団十郎外六名を左記上欄記載理由により、それぞれ左記日付をもつて解雇した。更に知事側は右解雇理由を敷えんして、下欄記載事実を附加主張する。

平野団十郎 昭和二十八年八月二十五日付

理由

a、引続き雇用することはアメリカの最上の利益ではない。

b、本人は引続き許可なく欠勤した。今月中次の如く出勤しなかつた。八月五日から七日まで、八月十日から十五日まで。

1、七月二十九日ストライキ中の暴力、傷害事件の責任。

2、七月二十八日よりのストライキの労働協約違反の責任。

小林一夫 昭和二十八年八月二十五日付

理由

a、本人を引続き雇用することはアメリカの為にならない。

b、本人は許可なく欠勤した。今月中次のように出勤しなかつた。八月五日より十四日まで。八月十七日。

1、七月二十九日スト中のピケの暴力行使、業務妨害に対する副委員長として又参加者としての責任。

2、逃亡、検挙による欠勤のための業務阻害。

山口倉吉 昭和二十八年八月二十六日付

理由

a、この者はこれ以上必要としない。

b、同人は七月二十九日に米軍士官の腕をとらえて危害を加える意思を示した。

1、七月二十九日スト中のピケの暴行傷害事件の最高指導者、積極的に協力した行為者としての責任。

2、逃亡検挙による欠勤のための業務阻害、及びその間の無届欠勤の責任。

加藤景一 昭和二十八年八月二十一日付

理由

a、この者はこれ以上必要としない。

b、八月五日から十七日まで無許可欠勤

c、七月四日仕事に出るよう定められていたにも拘らず出勤しなかつた。

d、七月十七日仕事を停止し山猫争議に参加した。これは日本労働法とこの職場の現行規則の違反であり。

1、七月二十九日ピケの暴力、業務妨害えの参加者として、又組合幹部としての責任。

2、逃亡、検挙による欠勤のための業務阻害。

高梨喜久二 昭和二十八年八月二十六日付

理由

a、この者はこれ以上必要としない。

b、八月五日から十九日まで無許可欠勤。

c、七月四日勤務を定められていたにも拘らず出勤しなかつた。

1、七月二十九日ピケの暴力、業務妨害の行為者としての責任。

2、逃亡検挙による欠勤のための業務阻害。

鴨志田利之 昭和二十八年八月二十六日付

理由

a、この者はこれ以上必要としない。

b、八月五日から十九日まで無許可欠勤。

c、四月二十七日十八時五分にAFFE本部につくべきバスをミスによりスケジユールより五分おくれて十八時十分に到着させた。

1、七月二十九日ピケの積極協力行為者としての責任。

2、逃亡検挙のための欠勤による業務阻害。

3、四月二十七日、コースを運休し帰隊したことは業務阻害、非協力、職場秩序の紊乱である。

峯村省三 昭和二十八年八月十九日付

理由

a、この者はこれ以上必要としない。

b、七月四日欠勤したため他の運転手をしてスケジュールに示された時間以上に働かせた。

c、七月二十九日不法にも軍用バスに突進してバスの運転手を立退かせようとして運転手に危害を加えた一味に参加した。

1、七月二十九日ピケの積極協力行為者としての責任。

2、検挙による欠勤のための業務阻害。

(平野団十郎外六名の解雇に対する判断)

九、

第一、昭和二十八年七月末ストライキの責任について

知事側は、昭和二十八年七月二十八日ないし三十日のストライキが

(1) 七月二十七日に予告されたものであるから、「争議行為を行う場合は、中央においては五日、地方においては二日以前に他方に文書をもつて通知しなければならない」という調達庁全駐労間の労働協約第二十七条の二に違反し、

(2) 組合は、七月二十四日地本と知事側との間で軍、知事、地本の三者会談によつては事態を円満に解決すべき合意があつたにかかわらず、これを一方的に打切つてストライキに入つた。これは「下部の協議会において解決できない事項は順次上部の協議会に移管して協議する」という同協約第二十六条に違反し、

(3) 七月二十九日朝バス通用門のピケラインにおいて暴力行為が発生したからその方法も違法であり

従つて組合幹部はこの責任を免れえないと主張するのでまずこれらの点について判断する。

(一)、(1) の点について

昭和二十八年七月十八日組合は、横浜渉外労務管理所長宛に「ストライキ通告書」をもつて「一九五三年七月十八日以降ストライキに突入する。但し実施の日時については、その都度通告する」旨通告したこと、この通告書を知事側が何らの異議なく受理したことは明かである。この通告書は文字通りストライキの通告であつて、実施の日時が記載されてないからと云つて、協約に別段の規定もないのに、ストライキの通告ではないという主張は、到底認め難い。而してストライキはこの通告後協約第二十七条の二所定の期限後たる七月二十八日に開始されたのであるから、この点について組合側に協約違反ありということはできない。

(二)、(2) について

地本と知事側は七月二十四日の団体交渉により、問題を軍、知事、地本の三者会談によつて円満解決すべきことに合意し同月二十七日右三者会談が開かれたことは明らかであるが、この会談は、これを協約第三章に規定する中央、地方、労管別に三段構造をとる二者構成の「労働協議会」と見ることは困難であつてむしろ協約第九条に基いて労働協議会の他に協議機関を必要とする場合は甲乙双方(調達庁側と全駐労側)協議の上設置するところの特別機関の性格を帯びたものと認められる。しかる以上、この三者会談について前記協約第二十六条を適用することはそもそも筋違いである。もしこれが協約第三章の労働協議会であるとしたならば知事側においても、当然、上部協議会に移管して事件の解決を図るべきであつたにかかわらず、何等その努力がなされていない事実は、これを裏付けるに足りるものといわなければならない。

(三)、(3) の点について

七月二十九日朝バス通用門のピケラインに生じた事件は前記認定のように全く突発的瞬間的なものであるから、若干のピケ隊員に不当違法な行為ありとしても、これを以て本件ストライキ全体が不当違法のものとなるものではなく、本件ストライキについて組合幹部なるが故に問責されるべき事由は全く存在しない。

第二、ピケラインにおける紛争の責任について

次に知事側は、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田、峯村の解雇理由の一として七月二十九日バス通用門のピケラインにおける紛争に参加したことを挙げている。右六名がこの紛争の場の附近に居合せたことは明かである。

旗竿を車内に突込んだり、運転手を運転台から引ずり下したりする行為が不当違法であることはいうまでもない。しかしこれら暴行を行い又は加功した者以外の者で単にその場の附近に居合せたに過ぎない者にまで責任を及ぼすことはできない。右六名はこの暴行に加つたと認めないことは勿論、山口が居合せた「米軍士官の腕をとらえて危害を加える意思を示した」事実も認定できない。運転規則に違反してバス通用門を疾走通過しようとするバスを山口が停車せしめたこと及び他のピケ隊が右バスを取囲んで争議協力方説得したことは、何れも未だ正当な組合活動を逸脱したものとは認められない。

以上のようにピケラインにおける前記六名の所為は何れも正当な組合活動の範囲内であつてこれを理由に解雇することは正当な組合活動に対する差別待遇に外ならない。

第三、その他の解雇理由について

(一) 軍及び知事側は、平野、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田、峯村の七名については、右争議終結後、無届欠勤を行つたから解雇したのであると主張するが、右欠勤については何れも欠勤届が提出されていることが明かである。知事側は、職制の末端に提出せりと主張する欠勤届は、軍においてその内容及び当時の状勢を綜合判断せる結果この欠勤届を不許可とし所謂、無届欠勤として取扱つたものであると主張するが、当時横浜陸上輸送部隊では労務者が欠勤するときは文書又は口頭で所員のフォアマンにその旨を届出ることを要しただけで欠勤が許される慣行にあつたことが認められるから、右知事側の主張は採用し難い。

(二) 軍及び知事側は、加藤、高梨、峯村については、七月四日の軍休日無断欠勤したので解雇したと主張する。

高梨については、右休日に出勤番であつたことは認められるが、同人はその前日フォアマンに欠勤届を行つていると認められる。

加藤及び峯村については、同日に出勤番であつたということ自体これを認定するに足る確証がない。

(三) 軍及び知事側は、加藤については、同人が七月十七日朝の集団早退、遅刻に参加したので解雇したと主張する。その当否は別としても、この件については参加者全員に対し既に譴責処分が行われ解決済であり、同人だけをこの際特に再度問責をした根拠に乏しい。

(四) 軍及び知事側は、鴨志田については「四月二十七日午後六時五分AFFE本部につくべきバスを五分間延着させこの為午後六時五分に走るバスを運行せしめなかつた」ことを解雇理由としているが、この件については既に譴責処分が行われており、このような数ケ月前の軽微な事故に対してこの際特に再度の問責をした根拠に乏しい。

第四、平野外六名の解雇とその組合活動との関係について

以上のとおり、平野、小林、山口、加藤、高梨、鴨志田及び峯村の解雇理由は何れも根拠薄弱でかえつて同人らの正当な組合活動までも責任追及していること、同人等が前記認定のとおり何れも活溌な組合活動を行つていたこと、スト直後に組合の活動分子が多数解雇されたものであること、ピケラインにおける暴行者青木はスト後も有罪判決言渡後も責任追及されなかつたが、同人の組合活動は本件七名の者に比して平素活溌でなかつたこと等を綜合すると、本件解雇は結局、軍が右七名の活溌な組合活動を嫌忌して他の理由に藉口して解雇したものと断定せざるを得ない。

この点に関する初審認定は相当である。

(梅津及び小池の解雇に対する判断)

十、梅津の解雇理由は怠慢運転であるが、その具体的内容は(一)昭和二十七年十月十四日作業後車輛を放置し配車表に必要事項を記入しなかつたことを以て懲戒処分をうけ、(二)昭和二十八年六月十八日車内清掃を拒否タイムカードに打刻せずに終業時間前退出した故を以て懲戒され四月間の解雇猶余となつたところ(三)七月十四日スピード違反の事故を惹起したというのであり、審問の結果右に該当する事実が存在しそれと本件解雇との関連が認められる。梅津はこれについて種々弁解するが、解雇が同人の組合活動に因るものと認めることは困難である。

小池の解雇理由は現行規則と労働契約に違反したこと等であるが、その具体的内容は(一)昭和二十七年十二月五日スピード違反によつて譴責をうけ、(二)昭和二十八年七月十八日タイムカードに午前六時三十五分と打刻して出勤後与えられた作業を拒否し且つタイムカードを打刻せずに帰宅したというのであり、審問の結果、右に該当する事実が存在しそれと本件解雇との関連が認められる。即ち同人は右七月十八日出勤後スミス中佐から注意を受けたことに憤慨し作業を拒否し且つ早退したので、その反抗的態度を問責され同月二十日付解雇予告されたものと認められ、同人の組合活動に因る解雇とは認め難い。現に、組合自身、争議妥結条件を協定した三者会談において、梅津、小池両名の復帰できないことについて、軍及び知事側に同意を与えていること、も前記認定を裏付けるものである。結局この点に関する初審認定は相当である。

(結論)

十一、以上のとおりであるから初審命令は相当であり、本件各再審査申立はいずれも理由がないので労働組合法第七条、第二十五条、第二十七条、中央労働委員会規則第五十五条により主文のとおり命令する。

昭和三十年五月十八日

中央労働委員会

会長 中山伊知郎

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